『慰安婦』(幻冬舎)の
感想をご紹介します!
「慰安婦」読みました!
よしりん先生が慰安婦問題を取り上げたときは僕は二十代はじめ、まだ大学生で社会にも出ていない頃でした。当時は彼女たちは強制連行されたのだと信じてたので、よしりん先生の言うことが、むしろ新鮮に思えたものです。
そう、こんなことがあったなとか、よしりん先生の顔のタッチがシャープだなとか、懐かしく思い出され、また、当時の裏話を聞けて、得した気分です!
しかし、当時のよしりん先生たちへの風当たりはきつい…どころか、過酷と言ってもいいものだったと改めて気付かされます。5対1の論争も朝生の司会者から観客までが偏向状態であったことなど、ほとんど集団リンチですね。そんな中をよく耐えてこられたなあと思います。
そして、僕自身はこの慰安婦論で、人間というものについて、かなり勉強させていただきました。多分、この読書体験は自分にとって、人を見るのに今でも役に立っています。
慰安婦たちの貧しさゆえに身を売る悲しさ、強かさ、男の性欲のどうしようもなさ、明日死ぬかも知れないという極限状態の中の人間の業とか人情とか。人間の心理描写がとてもリアルで引き込まれてしまいます。
だから、慰安婦や性風俗で働く人たちを一律で搾取されてる…などと断言してしまう自分を正義と疑わない人、その単純さ、横暴さには非常に腹が立ちます!!
男が「レイプする性」だって!?けど、僕は「なけなしの金で惨めな性を買う」兵隊さんの気持ちが恥ずかしいくらいに分かる…。生真面目な人って、こんな感じだよな…って。社会性のある人間同士なら、力が上回るからとか、性欲があるとかだけで人間の力関係が決定するものではないでしょう!何で、たったそれだけのことが分からないんだろう…。
「慰安婦論」は読む者の人間への理解が試されますね。「論」という形をとってはいますが、僕から見れば、人の心理を複雑かつ重層的に表現した「文学」ですらあります。
(daiさん)
これは嬉しい感想です!
慰安婦問題の本となると、単に論争ための本だったり、、
あるいはひたすら運動のための本というのが
非常に多い(特に左は)わけですが、
本来、慰安婦というものを語るには、
その時代と、その時代に生きた人間に対する理解が必要で、
つまり文学的要素が必要なはずなのです。
今まで、文学的要素まで取り入れた慰安婦問題の本が、
どれだけ存在したでしょうか?
その意味でも『慰安婦』は、貴重な一冊なのです!